窯印とマイセンマークについて

マイセンの歴史

第4回 オリジナル・マイセンの品質と技術の証「青い双剣」

1.窯印の意味

磁器の真贋は様式絵付け方法、さらに製造工場の歴史などを総合的に見て決定が下されます。一方、陶磁器の歴史を見ると、買い手の意向、あるいは売り手そのものによって、窯印に手を加えているものもあるので、陶磁器作品を見分けるとき、形態とか、輪郭、絵付けの色彩などの陶器自体の特徴と共に、彫像や容器の裏側に施された窯印にもそれらに劣らぬ関心が払われるのも当然といえるでしょう。

経験豊かな時期収集家以外は、作品を選択する際に、その作品がどの工場で作られたものかを一つの目安にするに違いありません。
したがって工場はその信頼にそむくようなことがあってはなりません。そこでこの保証の為にマイセン工場では一つの措置を講じています。
これこそが、その製品の規格品質を保証する「青い双剣」なのです。

2.窯印の保証

磁青い双剣マークの窯印が真正のオリジナルマイセンを証明するためには、銘を入れ始めて以来作られてきた製品にも総括的で厳しい品質保証ができることが求められました。国際的にも高い水準にあるマイセン工場で作られた製品の窯印の保証するものは、

  • 原料の品質の高さ
  • 絵具や釉薬、生地土などに関する化学・物理学的な肯定、及び、調土・焼成などの技術的行程の管理
  • 保存されているオリジナルモデルや、指導書に基づくフォルムや装飾との同一性
  • 伝統的な手仕事による制作
  • 工場の確たる責任体制と高い専門能力
  • 絵付前の段階での厳しい白地の選別
  • 工人たちの厳しい自己管理
  • 的確な経営管理
  • 国家による品質管理
  • マイセンの典型的なモデラー・成形工・絵付師による一貫性のある仕事
  • 制作集団の双造成
  • 顧客の反響に関する充分な検討 など

また、長いマイセンの歴史にあたっては、窯印もさまざまに変化してきているので、収集家の中にはマイセン作品の成形工や絵付師の署名に強い関心を抱く人も見られます。

底部に記された窯印は一つ一つの製品の出荷作業が完了するまで、マイセン工場が全責任を負うことを意味するのはいうにおよばず、製品が工場を離れた後もヨーロッパの芸術磁器としての信頼を保つために、可能な限り努力をかつて作られた贋作や模倣品から保護する責任を引き受けています。
古い時代の窯印の権利保護は、国際的な文化史的重要課題といえるでしょう。マイセン磁器製作所が主として18世紀のものであるこれらの窯印に対する商標権を保有しているのはこのためです。

3.窯印の変容

1722年11月8日、ベトガーの後継者として監督をつとめていたシュタインブリュックは一つの提案をしました。
次代の後継者はもとより、遠い将来の後継者たちすべてにあてて、「今後販売されるマイセン磁器にザクセン選帝候の紋章からとった剣の模様を、釉薬の下にコバルトブルーで描く。」この提言以来、青い双剣の名は広く知れ渡りました。

当時マイセン工場は委託注文された磁器に、注文者の頭文字をそれぞれマークとしていれていました。またそのほか一般的に所有者を表すマークが頭文字と組み合わせられて、または単独で用いられていました。

磁器研究所では、所有者を表すマークはインベントリー・マークと名づけられています。紫色や黒色で描かれたインベントリー・マークは宮廷用のセルヴィスにも使われました。
1720年から1740年の間の製品に記された省略形のK.H.K.K.H.C.前者は王宮の菓子どころを意味し、それに付け加えられたWの文字は首都ワルシャワの宮殿用であることを意味しています。
また、K.H.C.P.はアウグストグスト強王の離宮ピルニッツ城のためのもので、現在ドレスデンの美術コレクションの一部となっています。

今日の基本的シンボル、交差した青い双剣のマークが大勢をしめるに至ったのは、1740年以来のことで、このマークにもさまざまな変形が存在し、マーク本体に書き添えられた印もいろいろあります。当初は青い双剣の形は大きく真っ直ぐでしたが、しだいに優美な曲線で描かれるようになりました。

時折、星や点、数字、曲線などの印が添えられるものもあり、Royal Dresden ChinaやVieux Saxeといった表示が加えられることもありました。

4.マイセンの窯印

コバルトブルーによる双剣の窯印は、シュベルターと呼ばれる窯印専門の絵付師により一点一点手書きで描かれています。

また、歳月とともに選帝候の紋章である剣の描き方にも変化がありました。当初は剣が真っ直ぐで、つばの部分はわずかに曲がり、柄頭も表現されていましたが、時代が下がるとよりサーベルに似た形となり、刀は優雅にわん曲し、つばは真っ直ぐとなり、柄頭は示されなくなりました。

また、刀の交差する位置も上下に移動しています。さらに、星型や点、弓形などのマークを双剣に書き加えたものも現れました。こうした変遷は、専門家にとっては白磁片の制作年代決定の一つの手段となります。
ただ、装飾の終わった製品の制作年は、窯印だけではわからないものです。なぜなら、施釉薬後の製品、あるいはすでに窯印を描いたものが、年十年も保管された後に上絵つけ部門で完成される事もあり、またその事典では異なったマークが使用されることもあるからです。

次にあげる窯印は、マイセン磁器工場の商標として国内及び国際的に登録され、かつ法的に保護されているもので、1875年以来用いられています。

マイセンマークの変遷
アウグスト強王のモノグラムは、今でもザクセンの多くの建造物などにみられます。
1720年以来、君主が使用する磁器のマークとして用いられました。しかし当時は、厳密なきまりがなかったようで、1734年4月8日にはザクセン宮廷官房より、ARのモノグラムは「いかなる事情であっても、国王陛下のお許しなくしてこのモノグラムを付けてはならない」との勅命が出されています。
また、アウグスト強王の没後もしばしば用いられていますが、とくに今世紀になってからは、制作年を書き加えることによりオリジナルとの混乱を避けています。
王立磁器工場を省略したもので、当初は選候帝の交差する双剣がない形で1722年から用いられています。
今後全てのマイセン時期にはこのマークを入れるとライプチヒとプラハで公示されましたが、1725年以降は時折用いられる程度になりました。
鞭と呼ばれるこのマークは、しばしば単独で用いられ、また時には他のマークと併用される事もあり、とりわけ1720〜30年間のマイセン磁器に見受けられます。
1723年以降K.P.Mの頭文字と一緒に一つの商標として用いられるようになり、1731年から63年には常にこの窯印が描かれるようになりました。
1756年以後とくに1763年から74年には恒常的に二本の剣のつばの間に小さな一つの点が表現されることになりました。
剣の形もまた以前のものと比べて、かなり変化を見せています。
双剣の柄の間に描かれた小さな星型は、マルコリーニが工場長を勤めていた時代の製品である事を示すもので、1744年から1715年まで用いられました。
星型の廃止後、1820年までの柄の間には数字のTが描かれ、その後どのくらいの期間かはっきりしませんが、Uも用いられています。
以後、わずかに緩やかな弧を描いた刃は、比較的高い位置で交差し、それが下方の柄頭を引き立たせています。
剣はこのまま1924年まで変化しません。
マックス・アドルフ・ファイファーの経営による時代、双剣は優雅にわん曲し、柄頭はなくなり、剣先の間に小さな点が描かれるようになりました。この窯印は1924年から33年まで続きました。
1933年から45年まで、双剣の窯印はほぼ一定の形で描かれています。(マックス・アドルフ・ファイファーの点は描かれていません)
第二次世界大戦の終結から1947年までの短い期間、上方が開いた弓形が双剣の下に描かれています。
今日、双剣の窯印はなにも書き加えられていません。
刃の交差する位置は比較的中央で、つばは刃と反対の方向にほぼ同様の弧を描いています。
この窯印は1972年以後の特別な製品に描かれています。
また、すべての印刷物にも国立マイセン磁器制作所のシンボルとして、入れられています。
1919年以来、炉器製品には双剣の窯印に加えてこのマークが描かれています。炉器製品の窯印は手書きではなく、捺印したものを使用しています。

出典 : 「マイセン磁器」国立マイセン磁器公団史料編纂室 (監修 三上次雄・吹田安雄)敬称略

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