良き伝統と新しき創造

マイセンの歴史

第5回 マイセンの新たなる挑戦

1945年〜1960年

食糧にも事欠く状況の中で、マイセン工場は、戦後数年の間に中核となる人々を呼び戻し、次世代の教育についても休むことなく継続された。工場に働く一人一人により質の高い製品を制作することを目標に、全力が傾けられた。

1949年にドイツ民主共和国の国家主権が承認されると、最高の技術水準と模範的な企業組織をそなえていたマイセン工場がソヴィエト連邦から返還された。 そして、1950年にこの工場は「国立マイセン時期製作所」と命名された。

1958年には、ドイツ民主共和国への芸術作品の返還が実地され、マイセン工場も完璧な状態で作品を再び手にすることができ、1960年の250年祭を境に、博物館(展示場)も新たに扉を開くこととなった。

良き伝統から新しき創造へ

ドイツ民主共和国政府首相の250年祭での言葉であり、これがその後のマイセン磁器工場の目標となった。

戦後に新しく定められた国民的・文化的課題と経済的な要求との接点のなかでドイツ民主共和国は、マイセン工場に大きな責務を課した。
それは「マイセン磁器に真の関心を抱くすべての人は重い責務を負わねばならず、さもなくばマイセン工場で働く権利はない。」というこのときの首相の発言に集約される。

このときから、国立マイセン磁器工場では、新しい創造活動が開始され、自らの能力に対する正しい評価に基づいて、伝えられてきた原型と文様を目的別に選別し、不断の修練を重ねて制作集団の芸術的・手工芸的技術を高める事が当面の目標となった。

カール・ペーターマンによる新コンセプトに基づく工場再建

1960年代末に、伝統と創造に的確なコンセプトをもつ高額博士カール・ペーターマンがマイセンに入所し、新総裁に就任した。
ペーターマンにより、最高の技術と品質に基づく伝統の保持と市場における多大な芸術的成果の獲得を目的とした数々の改革が実行された。その結果、1970年代には、あらゆる分野、あらゆる段階で、マイセン工場の経営体制・品質管理・創造性すべてについて創設以来、最高の水準に達した。

*ペーターマンは、工場全組織の再建とともに造形面での再建にも尽力した。

新総裁による「芸術創造のための集団」に対する課題提起

250年祭を機に、文化遺産を批判的に摂取しつつ創造的立場伝統を理解する、という意識が高まり、芸術的要請から集団作業の必要性が唱えられ、1968年に「芸術創造のための集団」が編成された。ペーターマンは彼らに対して、以下のようなあらゆる課題を提起した。

  • 我々は新たな創造のために人道的な出発点に立っているのだから、これまでの主義を撤回する必要はない。
  • 古くからの伝統と、絶対不可欠な芸術上の進歩との複雑な関係の調和を図るために、とりわけ必要とされるのは自らの芸術上の創造的能力である。
  • マイセン磁器の伝統を守るということは、マイセン磁器が今まで時代ごとに生み出してきたさまざまな様式を、単に保存継承するというだけでなく、新しいものを創出する義務があるということである。
  • マイセン磁器の伝統は「芸術的創造のための集団」がマイセン磁器に関するすべてを把握した上で、マイセン磁器に対して明白なイメージをもつことを求める。
  • マイセンの磁器芸術はいかなる時代にも新しいものを追求してきた。
    そうでなければマイセン磁器の名に値しないといえる。
  • 新しい磁器芸術は、芸術的・技術的な実践によってのみ発展させうるものである。
  • マイセン磁器における新しい作品とは、伝統という制約を創造的に拡大してゆくもので、伝統的な造形と対立するものではない。

伝統的であることの制約は、原料や製造工程上の様ざまな前提条件から生じたが、1700年代のケンドラーによる食器の新しい形態の発明は画期的であり完成されたものであるため、マイセンにおいて新しいものを探求することがかえって障害となっていた。

しかし、この基本形は伝統的な食器のフォルムに共通する保守的な印象を与えるので、いずれにせよ、いつかは克服されなければならないものであった。

セルヴィスの造形

ルードヴィッヒ・ツェプナー(1931年生)
1948年から52年まで工場内の職業訓練学校で造形家としての教育を受けた。
その後、ベルリンの芸術専門学校で54年から58年の4年間、造形および芸術学を学び、造形家として学士号を取得し、1964年以来、国立マイセン磁器製作所の「芸術創造のための集団」の主任となる。
現代マイセンのテーブルウェア・セルヴィスのフォルム創作を専門としている。
セルヴィスの器はどれをとっても、ヴェルナーが施したあらゆる種類の絵付けと実によく調和し、このセルヴィスの造形によりツェプナーは造形家としての国際的名声を確立した。

ペーター・シュトラング(1936年生)
1950年から54年までマイセンの職業訓練学校で造形化としての教育を受け、55年以降4年間、ドレスデン芸術専門学校に学び、彫刻学士号を取得。
もっとも年若く表現力豊かな磁器モデラーのシュトラングは、芸術的手腕と新鮮な感覚によって、テーマ上でのマイセン磁器の伝統に広がりを与えた。

ハインツ・ヴェルナー(1928年生)
1943年から48年までマイセンの職業訓練学校で学び、58年まで磁器絵付師、その後は装飾デザイナーとしてマイセンで働いた。
71年にはドレスデン芸術専門学校で学び、絵画学の学位を取得した。画家ヴェルナーは、モデラーや彫刻家のかけがえのないパートナーであり、彼の斬新な仕事が成功したかげには、芸術家相互の深い心情的理解があった。ヴェルナーの芸術的才能は多くのセルヴィスのための絵付けに現れている。
磁器という特殊な素材とマイセン磁器の伝統的な製造工程の中の一工程としての絵付けに精通した上で、いっそう洗練された作品として昇華させることができることが、ヴェルナーの絵付けの本質である。
この基礎があってこそ、磁器という大きな制約のある分野でも、芸術的で個性に富んだ構想を表現することが可能なのである。

ルディ・シュトッレ(1919年生)
1934年から38年まで器のためのリトグラフとグラフィックデザインの専門教育を受け、47年以来マイセン磁器製作所で、最初は花専門の絵付師として働いた。彼の点と線による網目模様を用いた絵画手法は構成力のある作品に、陰影と緊張感と動感をかもしだす。

左 : ティタニアとツェットルの像(真夏の夜の夢)(原型 : シュトラング/装飾 : ヴェルナー)1969年高25.5p
中 : 色絵(千夜一夜物語)ティー用セルヴィス(原型 : ツェプナー/装飾 : ヴェルナー)1973年
右 : 色絵(花の輪舞)ティー用セルヴィス(原型 : ツェプナー1973年/装飾 : ヴェルナー1979年)

右 : 色絵(狩人のほら話)コーヒー用セルヴィス
左 : 青彩蘭花文ティー用セルヴィス(原型 : ツェプナー1973年/装飾 : ヴェルナー1977年)
右 : 陶画(新郎新婦)(装画 : ブレッチュナイダー1988年)

出典 : 「マイセン磁器」国立マイセン磁器公団史料編纂室 (監修 三上次雄・吹田安雄)敬称略

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