有名ブランドの誕生から作品作りにかける職人の誇りまでちょっとマニアックに解説します。左のコラムメニューよりお選び下さい。
洋食器の王様、マイセンについての特集です。
少し専門的で堅苦しい特集となりますが洋食器大好きの皆様にはぜひそのルーツからひもといて、一杯のコーヒー・ティーに2000年の陶磁器の歴史と300年の洋食器の歴史を味わってみて頂きたいと思います。
- 第1回 マイセン窯誕生と東洋陶磁器の歴史への誘い
- 第2回 マイセン窯設立初期の飛躍・発展とマイセンロココ
- 第3回 マイセン磁器の製造工程とその技術
- 第4回 オリジナル・マイセンの品質と技術の証「青い双剣」
- 第5回 マイセンの新たなる挑戦
- 第6回 マイセン・ブルーオニオンのすべて
第1回 マイセン窯誕生と東洋陶磁器の歴史への誘い
1.中国・日本の陶磁器の近世ヨーロッパ社会への浸透
磁器の歴史とヨーロッパ年表
| 紀元1世紀 | 中国ですでに青磁製品が安定して制作されています。 |
|---|---|
| 06世紀 | 随時代に良質の白磁が作られる。唐時代に白磁の生産が盛んになり、唐三彩などが生み出されています。 |
| 09−10世紀 | 五代、宋時代、華北・華南で生産された白磁が、アジア・アフリカ諸国に輸出されるようになります。 |
| 13−17世紀 | 元、明時代になると、白磁はもとより、華やかに彩色された豪華な磁器が現れ、東インド会社の活発な貿易により、ヨーロッパ諸国に次々と紹介されました。これらの中国陶磁は、ヨーロッパ社会で珍重され、豪華な色絵磁器や染付磁器は、バロック文化と同調して爆発的な人気を博していたのです。 特に強い権力と富を得たヨーロッパ各国の王侯・貴族や富裕な商人は争って美しい中国陶器を収集し、邸宅を飾って、それをステイタスシンボルにしていました。 |
| 18−19世紀 | 17世紀半の清朝の鎖国政策により、中国陶磁器の入手が困難となりました。そこで極東貿易の独占により、巨額の富を得ていた東インド会社が目を付けたのが、日本の陶磁器でした。 そしてこの後、ヨーロッパ市場を陶酔に導く日本の磁器が急速にヨーロッパ社会に拡がります。開窯間もないマイセン窯と有田焼の運命的な出会いは、ここから始まったのです。 |
予備知識
このようにして、東洋磁器の美しさは、当時のヨーロッパの人々を魅了し、自分たちの手で独自の磁器を開発したいという願望を呼び起こしました。君主たちは磁器の買い付けに大金をはたいて、国庫が乏しくなると錬金術師を呼びつけて、磁器の秘密を解き明かすよう厳命しました。
「東洋磁器を入手し、自らの威信を誇示したい」という君主たちの所有欲と顕示欲は、磁器製法の解明が遅れるほどに大きくなっていったのです。それほどまでに、ヨーロッパの人々の東洋磁器に対する情熱は激しく、今日の私たちの想像をはるかに超えるものでありました。
なかでも、もっとも熱烈な磁器愛好家で、その収集に傾注していたのが、 ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト強王であり、彼の厳命を受けた錬金術師がヨハン・フリードリヒ・ベトガーでした。
そして彼らの情熱が、ついにヨーロッパでの硬質磁器の製造を初めて可能にしたのです。
=現在のマイセン
2.マイセン誕生まで
マイセンと関連事項の年表
| 1602年 | オランダ東インド会社設立 |
|---|---|
| 1609年 | オランダと日本の交易開始。 |
| 1616年 | 日本の有田で磁器生産開始。 |
| 1647年 | 柿右衛門が赤絵に成功。 |
| 1651年 | チルンハウス、生まれる。 |
| 1669年 | オランダ東インド会社が有田に磁器を大量注文。 |
| 1668年 | チルンハウス、ライデン大学に学ぶ。 |
| 1670年 | フリードリヒ・アウグスト一世(強王)生まれる。(〜1733) |
| 1675年 | *チルンハウス、パリで白土を用いて磁器焼成の実験開始。 |
| 1677年 | デルフトのA・デ・ミルデが赤色b器を完成。 |
| 1682年 | 2月4日、*ヨハン・フリードリヒ・ベトガー、生まれる。(〜1719) |
| 1694年 | アウグスト強王、選帝侯位に就くチルンハウス、白土から磁器を製造する可能性を説く。 |
| 1696年 | *ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト、生まれる。(〜1775) |
| 1697年 | アウグスト強王、ポーランド王位に就くチルンハウス、ドレスデンの「鏡の間」用の鏡を受注。 |
| 1698年 | ベトガー、薬剤師ツォルンの徒弟となる。 |
| 1700年 | シュネーベルク近郊の聖アンドレアス鉱山でカオリンを産出。 |
| 1701年 | ベトガー、ザクセンにてアウグスト強王に捕らえられ、ドレスデンに移されるチルンハウス、アウグスト強王に磁器工場設立を献策する。 |
| 1702年 | チルンハウス、ベトガーを引見する。 |
| 1703年 | ベトガー、ボヘミアまで逃亡するが逮捕され、ザクセンに送還される。 |
| 1705年 | ベトガー、アルブレヒツブルグ城で、磁器と硬質陶器生産の実験開始。 |
| 1706年 | *ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー、生まれる。(〜1775) |
| 1707年 | ベトガーと3人の助手は、王命により新実験室に収容され、住居兼作業場として引き渡される褐色b器(ヤスピス磁器)の試作に成功する。 |
| 1708年 | ベトガーの実験覚書によれば、硬質白磁の製法の秘密が発見される。 |
| 1709年 | ベトガーが「非常に滑らか劣らない質の高い白磁を完成した」と、アウグスト王に建白書を提出する。(3月) 釉薬をかけ、しかるべき絵付けを施した、東洋の磁器に勝るともベトガーが「東洋磁器を模した磁器、並びに独自の磁器を完成するにあたっての計画私案」を提出する。(9月) ついに、ベトガーがアウグスト強王に「白い透明な磁器」「赤色磁器」などの完成を報告する。(10月19日) |
| 1710年 | 磁器の発明と工場の設立計画が4ヶ国語で布告される。(1月23日) 工場用地が、マイセンのアルブレヒツブルグ城内に決定される。 (3月7日) アルブレヒツブルグ城内に磁器工場が設立される。(6月6日) マイセン工場より、アウグスト強王に、施釉磁器と無釉磁器が献上される。(6月28日) ベトガーがマイセン磁器工場の初代監督に任命されるこの頃より、アウグスト強王、東洋の陶磁器を熱心に収集し始める。 |
*人物紹介
- チルンハウス
- ガラス、磁器開発の研究家で、アウグスト王とベトガーに影響を与え、磁器発明に重要な役割を演じた。
- ベトガー(ヨハン・フリードリヒ・ベトガー)
- ヨーロッパで初めて磁器を完成させた錬金術師。
- ヘロルト(ヨハン・グレゴリウス・ヘロルト)
- 虹の7色を含む多くの磁器用絵具を完成させた化学者、宮廷画家。
- ケンドラー(ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー)
- 磁器による数々の造形の基本を開発・完成させた彫刻家。
3.和食器との関係
有田焼とマイセン
東洋磁器のなかでも、特にマイセンとのつながりが深いのが、日本の有田焼でした。17世紀半ばの海外貿易の開始によってヨーロッパ市場を意識し、高度な技術と感性を駆使した形・色柄・質が追求されました。
このことがかえって有田焼の進歩を促し、その後のヨーロッパでの絶大な人気を生み出す要因になったのです。
17世紀後半になると、元禄文化を反映した日本独自の豪奢な色絵の古伊万里手や柿右衛門手が作られ、ヨーロッパでのバロック趣味・ロココ趣味に合致して、ますます人気を博するようになり、日本磁器獲得に熱心な王侯貴族はアムステルダムまで人を派遣し、東洋から入る船を待機させたと言われています。
マイセンで、ヨーロッパで最初の磁器が創製されると、1720年代からは柿右衛門模様のマイセン磁器が作られるようになり、この流れは現在まで続いています。
ベトガーが磁器焼成に成功し色絵具が完成すると、有田焼に陶酔していたアウグスト王は、有田焼を手本として、絵付けの練習をさせることで、マイセン工場の手描き技術を向上させました。


左 : 色絵花籠文皿 日本 江戸時代 伊万里 直径30.2cm
右 : 伊万里 直径30.2cm 色絵花卉文面取瓶 1725〜30年頃 高21.3cm
マイセンが誕生するまでに、いかに東洋磁器(特に日本の有田焼)がヨーロッパでもてはやされていたか、お分かり頂けたでしょうか。
私たちの洋食器に対する憧れは、実は300年以上前のヨーロッパの人々の日本の食器(磁器)への憧れとどうしても自らの手で磁器を完成させたいという情熱が根元にあったわけです。ちょっと、誇らしい気分になりますね。
出典 : 「マイセン磁器」国立マイセン磁器公団史料編纂室
(監修 三上次雄・吹田安雄)敬称略

















